ライブハウスは文化なのだろうかーその答えはもちろんイエスだ。もっとも、文化という言葉はさまざまな解釈がなされており、そこにはさまざまな意味が含まれている。そして、アカデミックの世界においても、文化人類学や社会学からカルチュラル・スタディーズにいたるまで、分野や文脈によってもとらえ方がまちまちだ。そのうえで、文化としてのライブハウスは日常に溶け込んでいる。そんなライブハウスは、ウイルス禍によって窮状に陥っている。何しろ、早々にクラスターの発生源として名指しされた2月末以来、「3密」の巣窟よろしく、ライブハウスは避けるべき場所の代名詞になってしまったのだから。まるでスケープゴートのごとく、ライブハウスの文字は日常的に散見しているのだ。もっとも、ライブハウスからクラスターが発生したのは紛れもない事実だ。そして、何よりもライブハウスはみずから、その事実を真摯に受け止めている。それは、多くのライブハウスが営業を自粛していることからも明らかだ。緊急事態宣言の発表があった4月7日以降、都内のライブハウス175店をウェブ上で継続的に調査している。振り返って、緊急事態宣言の発表以前の段階からすでに83店が営業の自粛をしていたが、これは3月25日に東京都の小池百合子知事の記者会見での自粛要請に応じたものだ。4月7日に政府から緊急事態宣言が発表されると、175店のうち130店が休業、すでに自粛していた83店のうち47店が自粛期間の延長を決めた。4月10日に東京都から休業要請が出されると、175店のうち141店が休業、14店が自粛期間のさらなる延長を決めた。その後、無観客ライブの配信は休業要請の協力金支給に支障をきたさないことが明文化された4月20日には、175店のうち160店が休業状態になっていた。さらに、5月4日に緊急事態宣言の延長が発表されると、休業していた160店のうちの88店は、緊急事態宣言の期間に合わせて休業期間を5月31日まで延長した。そうなると、「補償なき自粛」では、ライブハウスが持ち堪えられなくなるのは必至だろう。4月中旬におこなわれた「Save the little sounds」の調査によると、全国13都道県でライブハウスやクラブを運営する46事業者のうち、営業停止したまま自力で継続できるのは約3カ月以内と回答したのは約9割(41事業者)にのぼっている。実際のところ、「支援金は1回限りの給付では、1回家賃を支払ったら終わりになってしまう」という状況だ(「ライブハウス、休業3カ月が限界 音楽家団体調査で9割が回答」『中日新聞』2020年4月23日)。
ライブハウスの危機的状況に対して、すでに3月末には助成金の交付を求める署名活動「#SaveOurSpace」がおこなわれている。この署名運動を立ち上げるきっかけになったのは、とあるライブハウス経営者の悲痛な叫びだった。そもそも、ライブハウスやクラブといった「わたしたちの場所を守ろう」という立ち位置ではじまった活動は、新型コロナウイルス感染拡大防止に努めるあらゆる人の仕事と生活を守る継続的な支援を求める署名活動「#SaveOurLife」へと広がることになったのだ。例年ならば「ゴールデンウィーク」と呼ばれる大型連休だが、今年は「ステイホーム週間」なる陳腐なキャッチコピーにすり替えられてしまった。そんななかで、緊急事態宣言を5月31日まで延長することが発表されたのだ。その判断の是非はさておき、実際のところ、緊急事態宣言の延長は休業要請の延長を意味することになる。東京都では休業要請に応じた事業者には協力金が支給されるものの、損失を補填するには必ずしも十分とは言えない。ウイルス禍関連による経営破綻も急増しており、4月末時点で全国のライブハウス11店(系列店含む)が閉店に追い込まれているという事態だ。本来ならば緊急事態宣言が解除される予定だった5月7日には、「#SaveOurLife」が主催する「それぞれのSaveOurLife ー命と仕事を守ろうー 日本に住むあらゆる人々の暮らしと職を守り、継続的な支援を求める記者会見」がおこなわれた。さまざまな業種が垣根を越えて集まった記者会見には、党派を超えた政治家も参加しており、ライブハウスやクラブはもちろんのこと、ミニシアター、劇場、アパレル、保育士、非常勤講師、美容師、居酒屋、劇作家、ホストクラブ、セックスワーカーが登壇して、それぞれの立場からの窮状が訴えられた。それぞれの文化を守るために、さまざまな声があがったのだ。
ライブハウスは文化であるーそれには僕も同意する。何しろ僕自身、『ライブハウス文化論』なる本を書いているのだから。その一方で、「大文字」の文化の名のもとで、必要以上にライブハウスを擁護する動きには違和感を覚えてしまう。もちろん、「文化を守ろう」というお題目は、ライブハウスの存在価値を高める装置として機能する。しかし、ライブハウス が「大文字」の文化を名乗った途端、ライブハウスはみずからの存在意義を否定してしまうことになりかねない。先日の「#SaveOurLife」の記者会見では、さまざまな業種に携わる人たちそれぞれが、「等身大」の文化を語っていた。むしろ、この流れをつくりだすきっかけになったライブハウスの存在感が霞んでしまうほどだった。ウイルス禍はライブハウスに限らず、さまざまな業種に影響を及ぼしている。演劇もまた大きな打撃を受けており、先日の記者会見でも登壇した演劇関係者が「等身大」の文化を語っていた。その一方で、同じ演劇に携わる劇作家の平田オリザは、「大文字」の文化としての演劇を語っているのだ。NHKのニュース番組での異業種に対する発言は、自覚的にせよ無自覚的にせよ、彼みずからが携わる演劇の文化を「大文字」に仕立てあげてしまったのだ(http://oriza.seinendan.org/hirata-oriza/messages/2020/05/08/7987/)。その本意はわからないが、その後も彼の異業種に対する発言は止むことなく、「ライブハウスの方たちには、本当に大変申し訳ないが、劇場・音楽堂とライブハウスは業態が全く異なり、これをひとくくりにされることにはやはり無理がある」という発言まで飛び出している(http://oriza.seinendan.org/hirata-oriza/messages/2020/05/01/7985/)。長期にわたって「文化」と接してきた平田オリザが、ウイルス禍における「文化」の行く末を案じているのは当然のことだろう。そのうえで、演劇が「大文字」の文化だと主張するのなら、それは絵空事に思えてならない。
宮入恭平