1年前の2019年10月21日、僕は緊急入院することになった。

立教大学校友会主催のホームカミングデーにゲストとして出演した佐野元春のライブを堪能した翌日で、偶然にも担当する授業がない月曜日だったことが幸いした。その日は朝から左手の動きに違和感を覚え、それまで経験したことのないような悪寒と怠さに近所の脳外科クリニックへ駆け込んだ。ちなみに、そのクリニックが昨年の12月一杯で閉院になったことも書き添えておこう。

MRI画像の初見で問題が明らかになり、その場で入院が決まった。そのクリニックには入院施設がなかったので、メディカルセンターへの紹介状を書いてもらった。自分の足で歩くこともできたし、意識もはっきりしていたし、翌日以降の休講に関する電話までしていたのだが、念のため妻に付き添ってもらい、タクシーで5分ほどのメディカルセンターへ向かった。ドクターからは2週間ほどの入院を告げられるも、幸い病状は軽度だった。血栓を溶かすために24時間の点滴を3日間、その後は1日数時間の点滴を継続しつつ、並行してリハビリもおこなった。入院中は明らかに左手の動きがおぼつかなかったため、(ギターを弾く身として)何よりも気がかりだったのが後遺症だ。理学療法士からハンドグリップとフィンガーグリップを借りて、常に左手を動かしていた。その後の経過は良好で、10日後には無事に退院することができた。心配だった左手もまったく問題なく、目立った後遺症も見当たらない。とはいえ再発の可能性もあるので、日頃の生活に気を遣うようになった。そして何より、死を身近なものとしてとらえるようになったのも事実だ。入院中の病室は8階だったが、あいにくベッドから外の景色を眺めることはできなかった。その代わり、談話室からは新宿の高層ビル群を一望できた。いまにして思えば、僕はかなりの時間を談話室で過ごしていた。ちょうど読みかけだったドゥルーズとガタリの文字を追いながらも、この手の本を読むには体力が必要だ。談話室の片隅にはコミックや小説が置かれており、そのなかに村上春樹を見つけたのは必然だったような気がする。病院で『ノルウェーの森』を読むにはいささか場違いな気もしたが、少なくとも『千のプラトー』や『アンチ・オイディプス』よりはまともに思えた。とはいえ、そこで『ノルウェーの森』を読んでしまったがために、僕は否でも応でも死というものを意識せざるを得なくなってしまったのだ。「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」というわけだ、やれやれ。

村上春樹といえば、「もしあなたが芸術や文学を求めているのならギリシャ人の書いたものを読めばいい。真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。古代ギリシャ人がそうであったように、奴隷が畑を耕し、食事を作り、船を漕ぎ、そしてその間に市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういったものだ」という、処女作『風の歌を聴け』の芸術にまつわる一節を思いだす。ここからは、レジャー・スタディーズの文脈における、古代ギリシャのレジャー概念の本質を垣間見ることができる。古代ギリシャ語のムーシケーは詩や音楽、舞踊を含めた芸術全般の意味を持ち、理想国家を実現するために教養が重視されていた。もっとも、こうした教育を受けることができたのは、労働を強いられていた奴隷ではなく、余剰の時間を確保できる自由市民だった。詩作に耽ったり、数学に取り組んだりといった、いわゆる文芸が育まれたのは、まさに余剰の時間があったからというわけだ。古代ギリシャで問われたのは、余剰の時間の過ごし方だった。余暇は人びとが教養ある問題にたずさわり、人生の目的を追求することを可能にしたのだ。何かの目的のために余剰の時間を過ごすのではなく、余剰の時間を過ごすこと自体が目的だった。そして、詩や音楽、舞踏を含んだ文芸は、その必要性や有用性ではなく、余剰の時間を充実して過ごすためのものとしてとらえられたのだ。つまり、教養としての文芸は、余暇を充実させるために用いられたというわけだ。もちろん、古代ギリシャにおける余暇の重要性を理解するうえで、その社会背景を無視することはできない。つまり、現代社会では自明として語られる「労働/余暇」という発想を白紙に戻したうえで、そもそも古代ギリシャの自由市民は労働から解放されており、そのために教養ある問題にたずさわりながら人生の目的を追求することが可能だったという事実を考慮する必要があるのだ。

古代ギリシャにおける芸術の価値は、必ずしも現代におけるものと等価にはならないことに留意する必要があるだろう。そのうえで、芸術をどのようにとらえたらよいのだろうか。そもそも、芸術とは何か?という問いかけに、どのような答えが望ましいのだろう。『文化は人を窒息させる』を著したジャン・デュビュッフェは、アール・ブリュット(art brut)の「発明者」として知られている。アール・ブリュットとは、既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によってつくられた芸術作品の意味で、英語ではアウトサイダー・アート(outsider art)と呼ばれるものだ。加工されていない「生(き)の芸術」、伝統や流行、教育などに左右されることなく、みずからの内側から湧きあがる衝動のままに表現した芸術というわけだ。ちなみに、日本では福祉の文脈から、障害者による芸術という意味合いが浸透しているという事実は否めない。デュビュッフェによる「芸術はわれわれが用意した寝床に身を横たえに来たりはしない。芸術は、その名を口にしたとたん逃げ去ってしまうもので、匿名であることを好む。芸術の最良の瞬間は、その名を忘れたときである」という言葉からは、「生(き)の芸術」であるアール・ブリュットの本質が見え隠れする。そこから浮き彫りになるのは、文化に回収される芸術という文脈だ。そして、そんな芸術をデュビュッフェは「文化的芸術」と呼んでいる。たとえば、「芸術作品と商売とが結びつき、商人は利益のために根を釣り上げようとし、ついでこの値段が威光を生み出すことになる。商業と文化はこのうえなく緊密に結びついている。商業と文化は互いに助け合い強化しあう。(中略)商売はこのことをよく知っているがゆえに文化の神話を支持し、その権威を補強するのである」(『文化は人を窒息させる』p.36)と述べている。そして、「今日、文化という概念は、本質的に宣伝広告的であり、宣伝広告のメカニズムによく合致した度し難く単純な作品を指し示すものとなっている。要するに、作品の価値はしだいに宣伝広告の価値に移行しているのである」(p.54)と指摘している。ここからは、文化という言葉にまとわりつく欺瞞が垣間見える。そして、「文化がなくなったら芸術もなくなると言う人がいる。これは大きな誤りである。たしかに、文化がなくなったら芸術は名前を持たなくなるだろう。しかしそれは芸術という概念がなくなるのであって、芸術がなるなるわけではないのだ。芸術は名前を失って、健全な命を取り戻すのである」(p.79)と語るその言葉からは、欺瞞としての文化から解き放たれた真の芸術のあり方を描くことができるのだ。

緊急入院から1年が過ぎ、世界がすっかりと一変してしまった2020年10月14日、「演劇緊急支援プロジェクト」(舞台)、「#SAVE the CINEMA」(ミニシアター)と「#SaveOurSpace」(ライブハウス)が文化芸術への支援を求める「#WeNeedCulture」が、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて文化庁が募集した「文化芸術活動の継続支援事業」の改善を求めて要望書を提出した。関係者からは、例年の文化予算が年間1000億円前後のなか、文化庁が補正予算で560億円の継続支援用の補助金を確保して「文化芸術活動の継続支援事業」を立ち上げたことに期待したものの、現場の実情に即しておらず、支援が必要なところに届いていないとの声があがっている。「#WeNeedCulture」は発足当初から、政治への働きかけをおこなっている。もちろん、新型コロナウイルス禍における舞台やミニシアター、そしてライブハウスが置かれている状況は看過しがたいのは言うまでもない。そのうえで、みずからの活動を継続させるための実践は当然のことだ。その一方で、どうしても違和感を覚えてしまうのが、殊更に強調される「文化芸術」という言葉だ。つまり、助成の対象になっているのは、いわゆる大文字の「文化芸術」に属する分野で、そこから除外されている舞台、ミニシアターやライブハウスも含むべきだという主張が透けて見える。そして、「文化芸術」の名のもとに庇護を受けるのは効果的だろう。しかし、果たして、舞台、ミニシアターやライブハウスは大文字の「文化芸術」としてふさわしいのだろうか。あくまでも個人的な意見として、舞台、ミニシアターやライブハウスはアール・ブリュットであるべきだと考える。欺瞞としての文化から一定の距離を保つことによって、その存在意義が発揮されると確信している。ジャン・デュビュッフェの『文化は人を窒息させる』を訳した仏文学者の杉村昌昭は、「訳者あとがき」のなかで新自由主義のもとで「個人主義」の意味が歪曲されてきた背景を「文化」に当てはめる。そして、「文化という言葉の場合は歪曲されたというよりも、新自由主義の下でかつて以上にその支配的強度が高まったと言う方が妥当だろう。いまや、何でもかんでも『文化』という言葉を冠すれば社会的に合意が得られ、正当化されるような風潮が起きている。それは『スポーツも文化だ』というスローガンで推進されているオリンピックの開催に向けた動きに如実に現れている」と綴っている。さらに、「『パラリンピック』にかこつけて『アール・ブリュット』を持ち上げようという理不尽な珍現象まで生み出している。これこそまさに、アール・ブリュットを文垢的芸術の中に回収しようとするくわだてであ理、デュビュッフェが本書で厳しく批判していることにほかならない」と、辛辣な言葉を投げかけている。

宮入恭平