中川五郎 2020年05月27日

3月24日のライブを最後に、4月、5月はすべての予定をキャンセルして二か月が過ぎた。もうすぐ6月。さあ、ぼくはいつからギターを抱えて歌いに行く?

2019年末に中国湖北省を発端に広がった新型コロナウイルスの感染者が日本でも出たのは、2020年1月の後半のことだったと思う。しかしその頃はまだウイルス感染の拡大に関して、多くの人がそれほど深刻に受け止めたり、考えたりしているようには思えなかった。2月に入って横浜港に停泊していたダイアモンド・プリンセス号で新型コロナウイルスの集団感染が発生した時も、感染はこの大型クルーズ船の中だけのできごとで、日本じゅうに広がることはないだろうと他人事でどこか高を括っているようなところがあった。しかし感染はアジアからヨーロッパ、そしてアメリカへと拡大し、3月11日にはWHO(世界保健機構)が感染拡大状況はパンデミック、すなわち世界的流行になっているという認識を示した。

 日本でもクルーズ船や海外からやって来たり、帰って来た人たちの間だけの話ではなくなり、夏のオリンピックにこだわっていたりして初動対策が遅れてしまったことが大いに影響しているとぼくは考えているのだが、新型コロナウイルスの感染はすぐにもあちこちで大きく広がっていった。

 ぼくがやっているライブ活動に関していえば、狭い空間に人が集まって、歌い手が大きな声で歌うライブは大丈夫なのかという懸念の声が2月のうちからすでに聞かれるようになり、3月に入るとその懸念はライブはやめたほうがいいという静かな圧力にだんだんと変わっていった。実際、ぼくのライブやコンサートでも、予定されていたものが延期や中止になる状況が生まれるようになった。それでもぼくは十分気をつけてやれば大丈夫なのではないかと考え、3月は6日から24日までの間で、主に東京近辺だったが、7回のライブで歌った。しかし国内の、とりわけ東京の感染拡大状況は3月のうちにどんどん深刻なものになって行き、ライブを決行して歌っていても、ほんとうにこれでいいのかという気持ちを強く抱くようになった。そしてぼくは3月28日に次のようなことを自分のホームページやフェイスブックに書いて、それ以降に予定していたライブは主催者や共演者、お店と相談してすべてキャンセルしてしまった。 

「ぼくの基本的な考えは、東京や日本の今の状況がまだまだはっきりしないままだし、発表されていることもどこまで信じていいのかよくわからないということがありますが、できるだけ外に出ることなく、人と接触することなく、自分の居場所にこもっているべきだというものです。コロナウイルスに自分は感染したくないし(高齢者ということもあり)、それ以上に自分が感染して、それをまたいろんな人に感染させるということは絶対に避けたいと思っています。自分が感染者を増やす存在になり、そういう人がほかにもあちこちに生まれ、それで感染者がどんどん増えて行き、たとえ自分は助かったとしても、結果的に医療崩壊を招き、たくさんの犠牲者を生み出すことに繋がって行くとしたら、それはほんとうに取り返しのつかない恐ろしいことです」

 それから2ヶ月が過ぎ、今ぼくのまわりでは「もうだいじょうぶじゃない。もうライブをやってもいいんじゃない」という声が大きくなって来ているように思える。いや、地域によってはいつものようにライブが行われているところもあるだろうし、この東京でさえ数こそ少ないがすでにライブはあちこちで行われている。そして今、国や自治体が「緊急事態」を解除したり、「自粛要請」を取りやめたこととかと結びつけて、「国や自治体が言うところの解除ステップが進めば、もうやってもいいんじゃない」と、多くの人たちが考え始めているようだ。国や自治体の言うことを自分たちの行動の指針とするのなら、それに従って活動を再開するというのは間違っていることではないのだろう。

 でもぼくは、自分が2ヶ月前に書いた「東京や日本の今の状況がまだまだはっきりしないままだし、発表されていることもどこまで信じていいのかよくわからないということがあります」ということは、相変わらずそのままだと思っている。それに何よりも自分が3月の終わりにライブ活動をやめたのは、宣言があったり要請があったからではなく、あくまでも自分なりの判断なので、だからまた歌い始めるにしても、それは解除されたから、要請がなくなったからという外からの理由からではなく、自分なりの内からの判断で決めたいのだ。

「コロナウイルスに自分は感染したくないし、それ以上に自分が感染して、それをまたいろんな人に感染させるということは絶対に避けたいと思っています」という、やはり2ヶ月前に自分が書いた考えも今もそのままだ。「自分が感染者を増やす存在に」はなりたくない。そんな可能性はほぼ絶対にない、少人数の集まりのライブで歌ったり、その会場に行くために移動したとしても、ちゃんと気をつけていれば、感染したり、感染させたりするようなことは今は滅多にない。それはそのとおりだとぼくも思う。そう考えている人が多いだろう。万一のことを考えて取り越し苦労をする必要はないのかもしれない。しかし一万人の人たちが万一のことを考えず、もうだいじょうぶだと振る舞っていたら、万一はどんどん万一ではなくなって行く。

 それに自分は感染したくない、感染させたくないとあまりにも強調しすぎることは、感染した人、感染させた人をむやみやたらと攻撃したり、非難したりする大きな渦に飲み込まれてしまう危険性がある。ウイルスを前にして、あらゆる「感受性人口」は「感染人口」になる可能性があり、その状況や経緯は決して十把一絡げにすることはできないし、一様に攻撃したり、非難することはできない。

 ぼくがライブ活動をやめて出歩かず家にこもるようにすると言った時、そうできるのはうらやましい、そうできる立場は恵まれているという声も聞こえてきた。4月7日に政府が緊急事態宣言を発出(いつからこんな変な言葉が使われるようになったのだろうか)した時も、安倍首相は記者会見で、「自治体とも協力しながら、電気、ガス、通信、金融、ごみの収集・焼却など、暮らしを支えるサービスは平常どおりの営業を行っていきます。高齢者の介護施設や保育所などで働いておられる皆さんにも、サービスを必要とする方々のため、引き続き御協力をいただくようお願いいたします。食品など生活必需品の製造・加工に関わる皆さん、物流に携わる皆さん、そして小売店の皆さんには、営業をしっかりと継続していただきます」と呼びかけ、国民全体に外出の自粛を要請したわけではなかった。

 そしてこうした仕事に従事する人たちや医療関係者は「エッセンシャル・ワーカー」と呼ばれ、そこからはそれ以外の仕事は「エッセンシャル」、すなわち「必要不可欠」、「重要」、「必須」、「根本的」ではないという浅知恵と安易に結びつき、そこに「不要不急」という「流行語」も加わって、こもれる立場は恵まれている→そういう仕事は「エッセンシャル」ではない→だから「不要不急」だ→だからライブをやるなんてとんでもない、という変なことになり、感染拡大を憂えたぼくの理由とはまた少し違った側面からの「ライブ活動は控えろ」という声が強くなっていったように思う。

 安倍首相は4月7日の同じ記者会見で、「この2か月で、私たちの暮らしは一変しました。楽しみにしていたライブが中止となった。友達との飲み会が取りやめになった。行きたいところに行けない。みんなと会えない。かつての日常は失われました」と続けていて、ライブは飲み会と同じようなものにされ、「エッセンシャル」の対極に位置するものという印象操作を巧みに行われていたようにも思う。

「エッセンシャル・ワーク」とは何か、「不要不急」とは何か、歌や音楽やライブは「エッセンシャル」なものではないのか、「不要不急」なものなのかという議論はここではひとまずしないでおく(と言いながら後でまた引っ張り出してしまうのだが…)。しかしぼくが自分のライブ活動を控え、できるだけ家にこもっていようと判断したのは、恵まれているというだけでなく、ずるい言い方をするではないかと批判されてしまいそうだが、医療関係者や感染拡大状況の中でも外に出て仕事をしなければならない「エッセンシャル・ワーカー」の人たちのために、外に出なくても済む立場の人たちは、そして今は外での活動を少し休止しても大丈夫な人たちは、外に出ないこと、活動を休止すること、それが新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐことにつながるのではないかと考えたからだ。

 ぼくがいつからライブ活動を再開するのか、それは国や自治体の要請に従うのではなく、自分で考え、自分で調べ、自分で判断して決めると先に書いた。すでに平常どおりライブ活動を行っている歌い手の仲間もいるし、今はまだやめておこうと自宅で歌った動画を発信したり、ライブができる場所に行って無観客でライブを行い、それを発信している歌い手もいる。話を蒸し返すようで申し訳ないのだが、それぞれがそれぞれのやり方を選んでいるが、歌い手にとっては誰であれ歌うことは「エッセンシャル」なことだし、「不要不急」なものではないのだ。それは間違いないことだと思う。もちろん歌やライブだけの話ではない。人によっては、映画や芝居を見たり、美術館やギャラリーに行くことも、それこそ親しい人との飲み会も、「エッセンシャル」で「不要不急」でないものになり得るのだ。

 歌を伝えることに関しては、ぼくは配信や無観客のライブは苦手で、やはり人前で歌ってこそ自分のライブができると考えている。はてさて、ぼくはいつからいろんな場所やお店に出かけて行って、人前で歌うことができるのだろうか? ぼくのライブの形態は以前とは少し変わってしまうのだろうか? そして「エッセンシャル」でなくて、「不要不急」だと、今回いちばん変なかたちで槍玉にあげられてしまったライブができるいろんな場所のことにもぼくは思いを馳せる。歌う場所と歌う人、お互いのことを考え、この事態を一緒に乗り越えて行けたらと思う。

 いつからライブをやるかによって、「勝手だ」、「勇み足だ」、はたまた「臆病だ」、「慎重すぎる」など、さまざまな声があちこちから歌い手たちに届くことだろう。ライブをやる場所にもさまざまな声が届くことだろう。「自粛要請」に抵抗することが政権の言いなりにならないことだと「反逆」ライブをする人もいるだろうし、それこそ自粛解禁お祝いライブをする人さえ出てくるだろう。正解なんてあるのか。さあ、ぼくはいつからギターを抱えて歌いに行く? ぼくの問いかけはもうすぐ終わるのか? ぼくはぼくの判断をしなければならない。

 今回ぼくがひとつの判断をしても、この先ぼくらを待ち受けている「新しい」世界や時代の中で(若い世代の人たちに比べてぼくに残された活動期間はうんと短いだろうが)、ぼくは新型ウイルスの脅威だけにかぎらず、目の前に立ちはだかるさまざまな問題を前にして、絶えず問いかけ、考え、調べ、学び、悩み、そして自分の判断をしていくことになるのだと思う。覚悟はいいか!

中川五郎、フォークシンガー
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動の中心に。90年代に入ってからは小説の執筆や翻訳を行う。90年代半ばから活動の中心を歌うことに戻し、日本各地でライブを行なっている。
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