初めてロンドンとダブリンを訪れたのは、昨年1月のことだった。もともとアメリカの音楽に大きな影響を受けたことから、イギリスにはそれほどの魅力を感じていなかった。もちろん、イギリスやアイルランドの音楽も好んで聴いていたものの、訪れてみたいという気持ちは起こらなかった。ところが、偶然が重なって訪れることが決まると、さっそくイギリスやアイルランドのアーティストやバンドを聞き直した。そして、ロンドンでは「ミュージックツーリスト」よろしくビートルズの「聖地巡礼」を実践し、ダブリンではU2がアマチュア時代に使用していたスタジオなどをツアーするロックンロール・ミュージアムを訪れた。25歳のときに初めて訪れて以来アメリカ一辺倒だった僕は、四半世紀ぶりにカルチャーショックを受けることになったのだ。そんなロンドンでは、学生時代からの旧友がインディーバンドのベーシストとして活動している。ロンドンはウイルス禍で都市封鎖(ロックダウン)という厳しい措置が取られており、市民の外出なども制限されている。その友人に現地の状況を尋ねると、すべてのライブハウスは閉まっており、ライブの見通しも立たないとのことだ。もっとも、イギリスでは損失にともなう補填が明らかで、少なくとも3ヶ月間は収入の3ヶ月分が補償されるとのこと。そして、彼からは ”Tell to all your friends stay at home. Some of our friends are dying everyday here…” というメッセージを託された。

 イギリスをはじめとする各国の対応に比べて、日本では緩やかな政策が維持されてきた。とはいえ、(あくまでもデータ上の)感染者数の増加にともない、日本でも感染拡大(オーバーシュート)が現実味を帯びてきた。そんななか、東京をはじめとする7都府県に緊急事態宣言が発令されたのは4月7日になってからのことだ。遅きに失した感が否めない緊急事態宣言の発令だが、多少なりとも人びとの行動に影響を与えたのは事実だ。すでにデータを公表しているが、都内のライブハウス175店の運営状況をウェブで調べたところ、4月6日時点で全体の53%に当たる92店が、公演そのもののキャンセルなどはありながらも、無観客ライブや生配信などによる営業を継続していた。ところが、緊急事態宣言が発令された4月7日になると、その92店のうちの47店が休業を決めたのだ。また、すでに営業を自粛していた83店のうち47店は、緊急事態宣言の期間に合わせて休業期間を延長する措置をとった。さらに、4月10日に東京都が発表した休業要請を受けて、同じ175店のライブハウスを追調査したところ、営業を継続していた45店のうち11店が休業を決め、その時点で休業していた141店のうち14店が休業期間の延長を決定した。これにともない、これまで営業を自粛していたライブハウスも含めて、都内175店の81%当たる141店が休業していることになる。また、残り19%に当たる34店は休業を公表こそしていないものの、公演を休止しているところがほとんどだ。無観客や配信以外で営業しているライブハウスは、実質ゼロに近いだろう。

 ライブハウスの営業自粛は、言うまでもなくライブハウスみずからの判断によるものだ。多くのライブハウスが自粛をうながされる契機になったのは、少なくとも都内では、3月23日と25日の小池百合子都知事の記者会見だ。さらに、その後の緊急事態宣言や休業要請を受けて、休業するライブハウスの数は増加した。もっとも、ライブハウスが営業を自粛しても、イギリスのような休業による損失の補填があるわけではない。つまり、ほとんどのライブハウスは「補償なき自粛要請」を受け入れてきたのだ。もちろん、4月10日に都が発表した休業要請にはライブハウスも対象施設に含まれていることから、要請を受ければ50〜100万円の協力金を得る可能性が高い。そして、実際に都の休業要請が発表されてから休業に踏み切ったライブハウスもあることは事実だ。もっとも、協力金を目当てに休業を受け入れたライブハウスはないはずだ。その程度の給付金は、目下の窮状には「焼け石に水」に過ぎないのだ。ライブハウスが止むなく「補償なき自粛要請」を受け入れてきた理由は、単にウイルスの感染拡大を防ぐためなのだ。

 弁護士の福井健策は自身のウェブで、3月30日に「危機のライブイベント・芸術文化への、各国と日本の緊急支援策を概観する」(https://www.kottolaw.com/column/200330.html)と題したコラムをアップして、その後も状況が変わるたびに加筆をおこなっている。そこでは、先にあげたイギリスをはじめ、アメリカ、フランス、ドイツ各国の「文化芸術」への支援策が紹介されている。そして、欧米各国とは異なり、日本での取り組みの心許なさが垣間見える。そんな「文化芸術」を守ろうと、ジャンルや分野を超えて、支援を求める多くの声があがるようになっている。守られるべき「文化芸術」のなかには、もちろんライブハウスも含まれている。音楽文化のひとつとして、ライブハウスの存続を叫ぶ声があがるのは当然のことだ。もっとも、すべてのライブハウスが「文化芸術」の立ち位置にあるわけではない。ライブハウスは音楽という「文化芸術」を提供している(=「興行中心の運営」)が、その一方で、飲食業的な役割を果たしている(=「接客中心の運営」)ところも少なくない。今回のウイルス禍で疲弊している多くの中小規模のライブハウスは、飲食業的な運営での打撃を受けている。そして、どれほど音楽という「文化芸術」を提供しようとも、日本ではライブハウスが、いわゆる「3密」を生み出す「遊興」施設のひとつに見なされてしまうのだ。

宮入恭平