ポスト3.11の音楽文化では、音楽と政治の関係が注目されるようになった。その発端となったのは、東日本大震災が発生してから1ヶ月後の2011年4月7日、シンガーソングライターの斉藤和義がみずからYouTuubeに投稿した動画だった。彼自身のヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌「ずっとウソだった」は福島第一原子力発電所事故に関するもので、それまで国策として進められてきた原発に一石を投じる内容だった。その投稿からまもなく、所属事務所の意向によって動画は削除されることになった。しかし、そのときにはすでに、コピーされた動画がインターネット上に拡散していたのだ。この件に関して斎藤自身からの見解がなかったことから、この動画が誰によって投稿されたのか、その真相が明らかにされることはなかった。もっとも、所属事務所は、動画の人物は斎藤本人で、斉藤自身によって撮影されたことに間違いがないことを公表している。実際に、動画が投稿された翌日の4月8日には、斎藤みずからが震災支援として開催した「斉藤和義 on USTREAM『空に星が綺麗』」というインターネット番組の生中継のライブで、物議をかもした「ずっとウソだった」を披露したのだ。そんな「ずっとウソだった」は賛否両論の物議をかもすことになったが、ミュージシャンからも批判の声があがることになった。いきものがかりの水野良樹は自身のツイッターで、斉藤和義の姿勢に対して違和感を覚えたことを明かした。「ずっとウソだった」がYouTubeに投稿された翌日、つまり、斎藤がインターネットのライブ生中継で「ずっとウソだった」を歌った日に、水野はツイッターへ「やっぱり俺はこの歌詞の方が好きだな。この歌詞のまま、歌える世界も好きです。斉藤和義『ずっと好きだった』」や「(中略)俺は斉藤和義さんの音楽が大好きだけど、『ずっとウソだった』は大嫌いだよ」といったいくつかのツイートを投稿したのだ。水野による一連のツイートは紛れもなく、みずからの作品の替え歌を動画として投稿した斉藤に対する批判的なコメントだった。
水野良樹のコメントについては、インターネットで賛否両論のさまざまな意見が飛び交うことになった。その反響の大きさから、3日後の2011年4月11日には、「斉藤和義さんの『ずっとウソだった』を僕が『大嫌い』だと発言したことについて、その当時よりはいくらか頭の整理もできましたので、発言すれば不可避的に誤解が生まれるのはもちろん重々理解しているものの、その誤解を少なくするためにも、できうる限りのご説明をしたいと思います」というツイートを皮切りとして、水野自身が改めてツイッターにみずからの見解を投稿した。20回以上にもわたって連投されたツイートは、「そもそも僕は音楽に政治的な主張、姿勢(斉藤さんの場合は、怒りでしたが)を直接的に乗せることについて、とても懐疑的な人間です」という、水野が自分自身の音楽に対する姿勢を綴ったコメントからはじまった。ラブソングなども含めたあらゆる音楽が政治的な主張を孕んでいることに同意しながらも、水野は音楽にみずからの主義主張を乗せることに対して、ある種の抵抗感を覚えているようだ。その理由として、水野は「自分が身を懸けるポップミュージックとは、あらゆるものに対する世の価値意識に、直接、間接を問わず、意識的、無意識的を問わず、影響を与える宿命性を帯びている」と考え、「音楽にあからさまに主義主張を乗せることが、本来複雑な因子が絡み合って構成されている問題を、むやみに単純化する危険性について危惧している。歌詞というスキームで言えば、限られた字数で伝えられることでどうしても生まれる誤解曲解が音楽の特性ゆえに作者の意思に反して広範化してしまう」という恐れがあることを示唆しているのだ。
音楽と接するうえで水野良樹は、みずからの主義主張が作品に反映されることを回避する必要があるという立場を強調する。しかし、だからといって、水野自身がミュージシャンとして尊敬している斉藤和義の立ち位置を否定しているというわけではない。たとえば、「身を顧みず、自分の怒りを表現された行動に対しては、強い敬意を持っています。また、その行動そのものを押しつぶそうとするものがあるとするならば、僕は、音楽という方法論をとるかは別として、斉藤さんと同様に、怒りを表明します。有り体に言えば言論弾圧は、最も嫌うものです」と、斎藤の表現方法に一定の理解を示している。その一方で、「ただ、あの曲と、あの曲を受けての諸手を挙げた賞賛の嵐が、専門家でも意見の分かれるような高度で複雑な因子が絡む問題を、単純化してしまう危険性が垣間見えたこと、そしてそれを指摘する者への(語弊はありますが)逆圧力のようなものを感じた」という発言から、斎藤の実践方法に一定の距離を置いているのは明らかだ。そして、こうした水野の態度から垣間見えるのは、3.11よりも以前から築きあげられてきた音楽需要(あるいは受容)が、自覚的にせよ無自覚的にせよ、人びとに浸透しているという事実だ。そこには、音楽に包含されるメッセージの希薄化が見え隠れしている。社会学者の宮台真司は、音楽からメッセージが抜け落ちた転換点として、カラオケがブームになった1992年をあげている。人びとがカラオケで音楽と接するようになったことで、音楽は単なるコミュニュケーション・ツールになり、歌が思想を表すことはなくなり、目の前に与えられたものを自体的に受け取ることが一般化したというのだ(宮台真司「1992年以降の日本のサブカルチャー史における意味論の変遷」東浩紀編『日本的想像力の未来』NHKブックス)。こうしたカラオケによって歌われる音楽は、J-POPというジャンルとなって消費されることになった。1990年代初頭にはバブル景気の破綻を目の当たりにした日本社会だが、音楽産業は1990年代をとおして堅調な市場を維持していた。とくに、CD市場の興隆は顕著で、音楽産業は空前のCDバブルの恩恵を受けていたのだ。そもそも、商品価値を重視しながら最大公約数を対象としたJ-POPには、メッセージが包含される必然性がなかった。むしろ、音楽が「無色透明」で「無味無臭」なものであることこそが、最大公約数に消費される価値基準になったというわけだ。
音楽が政治に介入することをタブー視するという風潮は、ポスト3.11の社会で問い直されることになった。原発問題に対する批判の声は、特定秘密保護法案(2013年)や安全保障関連法案(2015年)を反対する声へとつながることになった。そこには音楽の介入も見られるようになり、(今回は触れないが)「音楽に政治を持ち込むな」問題へと発展することになったのだ。残念ながら、ポスト3.11の音楽による政治への介入は、しだいに陰りを見せはじめるようになった。あるいは、音楽が「無色透明」で「無味無臭」な本来の立ち位置へと回帰したのかもしれない。ところが、その状況を大きく変えることになったのが、今回のウイルス禍というわけだ。とくに、検察庁法改正案をめぐっては、これまで以上に多くの人たちが関心を寄せることになった。そして、その盛り上がりは、著名人へも広がりを見せた。「芸能人は政治を語るな」という批判的な声があがるなかで、ツイッターを介して政治に関与するミュージシャンも少なからず目につくようになった。そのなかに、水野良樹の名前があったことは特筆すべきだろう。彼は「どのような政党を支持するのか、どのような政策に賛同するのかという以前の問題で、根本のルールを揺るがしかねないアクションだと感じています」というツイートを、同法案に抗議する意味を込めた「#検察庁法改正に抗議します」というハッシュタグを添えて投稿したのだ。今回の彼の行為は、「ずっとウソだった」を批判したときのような、音楽作品を用いた政治への介入でないことは明らかだ。その一方で、音楽が「無色透明」で「無味無臭」な最大公約数に向けられたものであるならば、たとえ音楽作品そのものではなくても、ミュージシャン自身の政治への介入は致命的な行為になるはずだ。今回の水野良樹のツイートは、それまで政治への介入に対して一定の距離を置いてきた彼の心性を(再)検証するうえで重要になる。それは、水野良樹という一個人の心性というよりはむしろ、音楽が政治に介入する意味を紐解くための一般的な心性として理解されるだろう。
宮入恭平