あくまでも経験的に、音楽が心を揺さぶることを自覚している人は少なくないだろう。アメリカの発達心理学者のローレンス・スタインバーグは、「60歳になってもオールマン・ブラザーズを聴かなければならない理由なんてないさ。だけど、たとえ何歳になっても聴き続けるのは、思春期に聴いていた音楽なんだ」と、みずからの音楽経験について語っている。この「多感な時期に聴いた音楽は、一生をとおして心に残るだろう」というクリシェは、単に個人的な経験を主観的に語っているだけではない。スタインバーグは、「人間の推論能力や衝動の抑制を司る脳の前頭前野は思春期の直前に大きく活動し、アイデンティティを形成しようとする。したがって、思春期に受ける文化的な刺激は、大きな印象を残すことになる」と分析している(“Why You Truly Never Leave High School” in New York Magazine on January 20, 2013)。実際のところ、多くの人たちが、自覚的にせよ無自覚的にせよ、こうした経験を味わっていることだろう。もちろん僕にも、多感な時期に刺激を受けた音楽が数多ある。そこにはさまざまなタイプの音楽が含まれているが、なかでも社会的なメッセージが込められた音楽は、僕のアイデンティティを形成するうえでかなりの比重を占めているようだ。何しろ、中学〜高校時代(1980年代前半)に、当時としてはすでに時代遅れとなっていた関西フォークを聴いていたのだから。

 ウイルス禍によって大きな影響を受けている音楽業界3団体の代表(日本音楽事業者協会会長の堀義貴、日本音楽制作者連盟理事長の野村達也、コンサートプロモーターズ協会会長の中西健夫)による鼎談が、4月18日の特別番組『いま、音楽にできること』(ニッポン放送)で放送された。多大な損失を受けている音楽産業の実情を伝える彼らの声からは、事態の深刻さが伝わってきた。それと同時に、あくまでも個人的な意見として、この番組は「いま、音楽にできること」ではなく「いま、音楽産業にできること」だと強く感じた。それが顕著になったのは、番組の途中からサカナクションの山口一郎が加わってからだった。彼は臆することなく、音楽と政治の関係を口にした。もっとも、そこで語られたのは、メインストリームの立ち位置からの主張に思えて仕方ない。もちろん、彼は精力的に音楽(産業)と政治の橋渡しをするような活動をおこなってきている。2015年には劇場やホールの不足が懸念される「2016年問題」について、業界関係者とともに窮状を訴える記者会見に参加している。また、2017年にはチケットの高額転売問題について、超党派のライブ・エンタテインメント議員連盟へのロビー活動をおこなっている。そんな彼は番組のなかで、音楽をはじめとする「文化」を伝える必要性を説き、さらには政治に対して「文化」(の意味や価値)の理解をうながす努力も必要だと語っている。もっとも、その文脈において、政治に理解されるべき「文化」に含まれるのは、「音楽」というよりも「音楽産業」の意味合いが透けて見える。それはあくまでも、彼自身の音楽産業のなかで活動するメインストリームのアーティストとしての価値観にもとづくいたものだろう。そんな彼は、アーティストの政治的な発言について、その行為そのものを前向きにとらえながらも、限界があることを吐露している。とくに、メインストリームのアーティストにとって、政治的発言は命取りになりかねない。アーティストが声をあげることは、何かしらのリスクをともなうというわけだ。そんな彼は、アーティストが社会的批判をする行為はともかく、声をあげて議論を生むことの重要性を強調するのだ。

 「ステイホーム」が叫ばれるなか、「いま、音楽にできること」を実践する動きが見られるようになっている。そこには、物議をかもすことになった星野源の「うちで踊ろう」も含まれるだろう。また、演出家の宮本亞門は「上を向いて〜SING FOR HOPE プロジェクト」を企画して、著名人から一般の人たちまで総勢600人が参加して坂本九の「上を向いて歩こう」を歌っている。八代亜紀、五木ひろしや坂本冬美をはじめとする演歌歌手も、各自で歌った「上を向いて歩こう」をつなぎ合わせた動画を発信している。さらに、ツイッターでは歌の動画をリレー形式でつなぐ「#うたつなぎ」が話題になり、多くの有名アーティストも参加している。こうした「いま、音楽にできること」の実践は、好むと好まざるとにかかわらず、ポスト3.11には「音楽の力」言説として社会に蔓延することになった。もちろん、今回のウイルス禍と3.11を単純に比較することはできないが、有事の際の音楽のあり方を問うという意味では、きちんと向き合うべき論点になるだろう。そんななか、女優の杏がYouTubeに投稿した弾き語りの動画が話題になった。彼女が歌ったのは、1970年代に戦争の愚かさを皮肉混じりに歌った加川良の名作「教訓」だ。そこには「自分のことを守ることが、外に出ざるを得ない人を守ることになる。利己と利他が循環するように、一人ひとりが今、できることを」という彼女自身のメッセージが添えられている。彼女が「教訓」を選曲した真意は定かではないものの、この作品に社会的なメッセージが込められているのは間違いない。3.11直後の「音楽の力」言説に追随した作品が溢れるなかで、YouTubeに投稿された斎藤和義の「ずっとウソだった」は「もうひとつの『音楽の力』」として衝撃的だった。そして、杏が歌った「教訓」は僕に、そのときの「もうひとつの『音楽の力』」の衝動を思い出させた。

宮入恭平