コロナウイルスの収束が見えない中、仕事のないミュージシャンの不安は増すばかりである。真っ先に影響を受けた音楽業界では、補償を求めるムーブメントや署名運動など、さまざまな活動が活発である。

あるミュージシャンにインタビューを行った最、SNSやリアルの場において、ミュージシャンの政治に対する発言傾向に差が出始めてきたことを示唆するような話があった。

発言傾向は大きく分けると3つのグループに分類される。
ひとつは現政権のコロナ対策に批判的な発言をするグループ。もうひとつは、そのような批判に対して、「文句を言ってもしょうがない」「みんなで頑張ろう」などと発言する批判の批判グループ。そして、特に注目したい最後のひとつはノンポリグループである。

また、別のミュージシャンはインタビューの中で、メジャーフィールドで活動する多くのミュージシャンは、政治的なスタンスを表明することが難しいのではないか、と語っていた。なぜそのような状況にあるのだろうか。
日本のメジャーシーンが資本主義ベースとした商業的な成功を突き詰める業界に変容したあまり、ノンポリティカルなミュージシャンを大量に発生させたのではないかということが、ひとつの可能性として考えられる。

メジャーシーンでミュージシャンが商業的に成功するためには、綿密に計画を立て、売り出し方や見せ方を考える必要があるため、マネジメントを行うプロダクションに所属することが一般的である。
ミュージシャンはその方針をベースに活動を行い、プロダクションからのアドバイスによっては言動も制限されるケースがある。いわゆるコンプライアンスである。

東日本大震災の際に、斉藤和義が歌った「ずっとウソだった」は、賛否両論を巻き起こした。日本の音楽業界では、ミュージシャンの政治的発言は、ファンが離れる大きな要因になるのだ。この出来事以降、政治的な発言をするミュージシャンはほとんど現れなくなったような印象を受ける。
人畜無害であることを表明するかのように、メジャーシーンのミュージシャンコンプライアンスには、政治的発言を控えるべきという遵守が出来たとも考えられる。

ミュージシャンは政治的な発言を控え、ノンポリティカルなスタンスであることが商業的成功を導くためには必要であると考えられ、現代では政治的な発言をミュージシャン自ら控えるようになっているのではないだろうか。

音楽に政治を持ち込むことがタブー視され、資本主義と産業を土台に発展してきた音楽業界では、ミュージシャン個人の考えや発言などが黙殺されることや、言論が弾圧されてきた可能性もある。いわゆる干される、といった仕打ちを受けるケースも無いとは言い切れない。
もし、このようなことが現実に起きているのであれば、日本の音楽業界が文化として成熟しているとは到底言い難い。
ライブハウスやミュージシャンを含めた音楽業界への補償などの対応が遅れていることや、音楽業界に補償を求める運動に対しての批判が少なくないことに鑑みると、日本の音楽業界は世間から文化のひとつとして認められていないようにも感じられる。

現状の音楽業界のシステムでは、ミュージシャンが自発的に政治的な発言をすることは難しいと考えられる。今後も業界が認識を改めず、ミュージシャンがスタンスを表明することが出来ないようであれば、日本の音楽産業のシステムは終焉を迎えることになるだろう。

小林篤茂