「資本主義リアリズム」とライブハウス

コロナウイルス関連

 ウイルス禍による経済への打撃はあまりにも大きく、グローバルな規模で深刻な事態を引き起こしている。さまざまな業種が影響を受けているなか、もちろん音楽産業も例外ではない。日本でもさまざまなメディアをとおして、苦境に立たされる音楽産業の窮状が毎日のように報じられている。さらに、アカデミックな視座からの言及も見られるようになり、日本ポピュラー音楽学会は「新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020」(https://covid19.jaspm.jp/)を立ちあげ、日々刻々と変化する状況の調査に当たっている。たとえば、4月20日に公表されたデータによると、音楽関連の仕事に従事する人たち(895人)への調査では、「回答者の86.6%が7割以上の仕事を失った」という驚きの結果が示されている。そんな音楽産業のなかでも、ライブ・エンタテインメント産業の損失は甚大で、ぴあ総研の算出によれば、3月時点で中止や延期になった公演や興行の本数は81,000本、入場できなくなった観客総数は延べ5,800万人、中止や延期によって減少した入場料金は1,750億円に及んでおり、減少率は2019年の年間市場規模9,000億円の19%に達している。この状態が5月まで継続すると、市場規模は前年比37%減になる恐れがある(https://corporate.pia.jp/news/detail_covid-19_damage200323.html)。ここ10年のあいだに、ライブ・エンタテインメント産業の市場規模は1.8倍、とくに、コンサートは2.5倍まで膨れあがった。最近の音楽産業の傾向をみると、コンテンツ市場が低迷の一途をたどる一方で、ライブ・エンタテインメント市場は大きな成長を遂げていた。ウイルス禍によるライブ・エンタテインメント市場への影響は、音楽産業全体にとっても大きな痛手になること必至だ。

 とはいえ、音楽産業がここまで肥大化してしまったことに、大きな矛盾を覚える人も少なくないだろう。あるいは、音楽産業が巨大な資本構造にあるという事実を当たり前と受け止める人の方が多数派なのかもしれない。こうした認識は、イデオロギーの対立として顕在化することになる。ポスト3.11の社会で耳にするようになった「音楽に政治を持ち込むな」言説が意味するものは、カウンターカルチャーにおける音楽と政治の関係にほかならない。音楽は政治的なものであるという主張がある一方で、それに対して浴びせられる冷笑がある。そして、この対立は、単なる「右か、左か」のイデオロギーを超えたところで、再帰的無能感なる諦念と無力感を呼び起こすことになる。そんな「音楽に政治を持ち込むな」言説は、ポスト3.11の連続性として理解する必要がある。それは、2017年に48歳でみずから命を絶った、イギリスの批評家マーク・フィッシャーの「資本主義リアリズム」の議論に当てはめればわかりやすいかもしれない(マーク・フィッシャー/セバスチャン・ブロイ、河南瑠莉訳『資本主義リアリズム―「この道しかない」のか?』堀之内出版、2018年)。音楽は政治的なものであっても、資本主義から逃れることはできない。それに対する冷笑的な態度は、自覚的にせよ無自覚的にせよ、結果として資本主義に加担してしまうのだ。「事態がよくないとわかっているが、それ以上に、この事態に対してなす術がないということを了解してしまっている」という再帰的無能感は、まさしく「資本主義リアリズム」によってうながされたものなのだ。

 1994年4月8日、アメリカのロックバンド、ニルヴァーナのカート・コバーンが遺体となって自宅で発見された。享年27歳、発見されたときにはすでに死後3日が経過していた。致死量のヘロインを摂取していたうえに、みずからの左側頭部を散弾銃で撃ち抜いた自殺だった。1991年に発売されたセカンドアルバム『ネヴァーマインド』が大ヒットとなり、世界を席巻したグランジ、そしてオルタナティブロックと呼ばれた新たな音楽ジャンルの代名詞にもなったニルヴァーナのフロントマンとして活躍したコバーンの死については、彼の生前の言動(「自分が嫌いだ、死にたい」という歌詞や、自殺するわずか1ヶ月前にも鎮静剤の過剰摂取による自殺未遂を図っている)から、その意外性よりも必然性の声が多かったという事実は驚くに値しない。そんなコバーンの死について、マーク・フィッシャーは「資本主義リアリズム」と関連づけながら言及している。そもそも、オルタナティブロックは、商業主義のもとで肥大化した「産業ロック」に異議を申し立てるオルタナティブとして登場したものだ。しかし、そのオルタナティブ的なものさえもが、メインストリームに従属したスタイルばかりか、そのなかで最も支配的なスタイルにすらなってしまったのだ。さらに、資本主義が人びとの無意識にまで浸透している「資本主義リアリズム」においては、こうしたオルタナティブのメインストリームへの包摂を疑問視することさえなくなっている。それに自覚的だったコバーンは、オルタナティブへのこだわりと商業的な成功というみずからの立ち位置にジレンマを抱えることになったわけだ。彼を死に追いやったものは、オルタナティブとメインストリームの折り合いをつけなければならないという膠着状態をめぐる闘いだったのだ。

 カート・コバーンが抱えたジレンマは、ロックが抱えるジレンマと同等のものとしてとらえることができるだろう。そもそも、ロックの歴史をたどると、そのアンビバレントな立ち位置が透けて見える。もちろん、ロックは音楽産業という文化産業によって、資本主義に回収されてきたものとしてとらえることができる。その一方で、ロックという音楽ジャンルが成立した背景をたどると、体制に抗うカウンターカルチャーの時代に適応したものというとらえ方もできるはずだ。もちろん、「ロックとは何か」という定義を探求すれば、いくつもの答えを見いだすことは可能になる。そのなかでも、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルにエレクトリック・ギターを抱えてステージにあがったボブ・ディランに対する観客の否定的な反応は、ロックの定義を紐解くうえでも重要になるはずだ。ロックという音楽ジャンルは1965〜67年のあいだに定着したものだが、その成立過程として、フォークとロックンロールという既存の音楽ジャンルのあいだのせめぎ合いを無視することはできない。左翼的な政治性を帯びながら反近代主義や反商業主義をかかげたフォークに対して、エレクトリック・ギターというテクノロジーを駆使するロックンロールは商業主義の象徴というわけだ。ディランによるフォークとロックンロールの融合は、結果的にロックという新しいジャンルの誕生をうながすことになった。そんなロックはカウンターカルチャーの代名詞となり、ここにロックが抱えるジレンマが生じることになったのだ。

 逼迫する音楽産業のなかでも、このウイルス禍で注目されるようになったのがライブハウスだ。そもそも、クラスターの発生によって名指しされたことに端を発して、それ以降も、ライブハウスがメディアや行政によってスケープゴートのごとく扱われてきたのは紛れもない事実だ。さらに、度重なる「補償なき自粛」を強要されたことから、すでに運営を断念してしまったライブハウスも現れている。こうした窮状を目の当たりに、音楽文化としてのライブハウスを守ろうとする動きが活発になっている。そして、こうした状況に、僕自身も同じ立ち位置にあるのは確かなことだ。それと同時に、ライブハウスが「資本主義リアリズム」の名のもとで機能してきたという事実も再認識する必要がある。かつて、ライブハウスは「この道しかない」という態度で、みずからの立場を肯定してきた。もちろん、そこにはオルタナティブも存在していた。もしかしたら、いまこそライブハウスは、ポスト3.11にその機会を逸してしまった「資本主義リアリズム」の呪縛から解き放たれることができるのかもしれない。

宮入恭平

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