ソーシャル・ディスタンシングの向こう側

コロナウイルス関連

 4月7日に新型コロナウイルス対策の特別措置法にもとづく緊急事態宣言が発令されてから一夜明け、「不要不急の外出は控えなければ」と思いながらも、妻と愛犬レオ(ミニチュアダックス)と一緒に出かけることにした。もちろん、用もなくフラフラと出歩いたわけではなく、年に一度の義務(狂犬病の予防注射)を果たすという大義名分のもとでの外出だった。住宅街にはそれなりに人びとの姿があり、幹線道路にはそれなりに車が往来していた。テレビのニュースで見ていた、ニューヨークやパリのロックダウンとは異なり、かつてあった日常を垣間見ることができた。もっとも、それは非日常の日常化に過ぎないのだが。そんな緊急事態宣言は、自粛の要請をうながしている。そもそも、「みずから進んで自分の言動を慎むこと」を意味する「自粛」を誰かに「要請」されるというのは奇妙な話だ。もっとも、「同調圧力」が規範となっている我が国の社会では、自粛を要請されることには無自覚なのかもしれない。ましてや、かつて経験したことのない未知のウイルスを目の前に、個々の行動を抑制するしか術がないのも事実だ。何しろ、このウイルスには、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)が最善の処方箋なのだから。

 緊急事態宣言を受けて、東京都もさまざまな自粛を要請することになる。その効力が発生した4月8日午前0時から、都内全域では都民に徹底した外出自粛を要請することなどを盛り込んだ緊急事態措置が実施された。そこには、ソーシャル・ディスタンシングをうながす目的として、さまざまな事業者への休業要請も盛り込まれる予定だ。もっとも、休業要請の対象となる業態を広げて措置の実効性を高めたいとする東京都と、経済活動への影響をできるだけ避けたい国との考え方に隔たりがあることから協議が整わず、具体的な業態や施設の公表は10日、実施は11日になる見込みとなっている。そして、休業を要請される事業者には、ライブハウスが含まれることになるのは必至だ。もっとも、緊急事態宣言の発令前から、営業の自粛に踏み切っていたライブハウスは少なくなかった。いまさら、経済活動への影響を避けるといったところで、閉店に追い込まれるライブハウスも現れはじめている。「補償なき自粛要請」の歪みは、早くも顕在化しているというわけだ。

 4月6日時点では、ウェブサイトで調査した都内のライブハウス(175店)の47%に当たる83店が、みずからの判断で営業を自粛するという対応をとっていた。自粛を判断する基準として、多くのライブハウスは国や行政の方針を参考にしていた。最初の転機が訪れたのは、厚生労働省から「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」が出された2月25日だった。それにより、ライブハウスでは、ソーシャル・ディスタンシングの選択肢のひとつとして、営業自粛を考慮するようになった。さらに、都内に目を向ければ、3月25日に東京都の小池百合子知事の「ライブハウスなどについても自粛をお願いする要請を、個別に行ってまいりたいと考えております」という会見がおこなわれると、多くのライブハウスに行政から直接、自粛を要請する文書が届いた。それでも、何らかの形で営業を継続するライブハウスもあったのは事実だ。たとえば、先の調査でも全体の53%に当たる92店は、ライブのキャンセルなどはありながらも、無観客ライブや生配信などによる営業は継続していた。そして、緊急事態宣言が発令された4月7日になると、92店のうちの47店が営業の自粛を決めた。また、すでに営業を自粛していた83店のうち47店は、緊急事態宣言の期間に合わせて自粛期間を延長する措置をとった。

 音楽家団体「Save the Little Sounds」のアンケート調査(3月27日〜4月3日)によれば、対象となったライブハウスやクラブ284店のうち、有限会社が35店(12%)、株式会社が70店(25%)、無回答が45店(16%)、そして、最も多かったのが「その他」の134店(47%)だった。ここから読み取れるのは、ライブハウスやクラブの運営形態だ。今回のウイルス禍では、ライブハウスに限らず、あらゆる経済活動が打撃を受けている。それを踏まえながらも、音楽文化に注目したときに、ライブハウスがどのように運営されているのかを認識する必要があるだろう。アンケート結果の「その他」は、多くのライブハウスが個人事業主によって運営されていることを意味している。もちろん、今回ばかりは、株式会社や有限会社として運営されているライブハウスも経済的な損失を免れることはない。しかし、それ以上に、個人事業主が運営する小さなライブハウスは、その存続の危機に立たされており、実際に閉店を余儀なくされた店も現れている。そんななかで、ライブハウスも、国や行政の要請に従って休業するのが望ましいことは百も承知だ。ソーシャル・ディスタンシングの重要さを認識しているからだ。それにもかかわらず、敢えて営業を継続しなければならない理由は、あらゆる業種に共通することだが、国や行政の「補償なき自粛要請」に対する不安があるからだ。東京都が休業要請を発出するであろう10日以降は、営業を自粛するライブハウスの数がさらに増えるだろう。そして、つきまとうのは、ソーシャル・ディスタンシングの向こう側に見え隠れする、国や行政による「補償なき自粛要請」なのだ。

宮入恭平

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